高橋源一郎さんが、
「小説ラジオ」で死んでいった人についてのことを
書いていたので、ちょっと、
また久しぶりに亡き父のことなどを
おもいだした。
思い出さない日もないんだろうけど、
あらためてちゃんと思うこともない。
彼がこの世を去ってから、
数えてみればもう20年ちかくにもなれば
そんな状態だ。
よく、亡くなった人がいまでも生きている、
というように言いながら暮らしている人をみるが、
私は、実のところをいうと、
そのように感じたことが一瞬たりとも、無い。
彼は、完全に向こう側の人となっている。
理由は、母の言葉だ。
父が亡くなってからほどなくして、
ぼそっというのだ。
「お父さんの晩年は、なんだかとても辛そうだった。
いろいろとても。
だから、神様は、本当にいい人だったお父さんを
助けるために、
ちゃんと連れて行ってくれたんだと思う。」
そうなのか。
ならば、よかったじゃないか。
私は、さびしいなあと思うけど、
それが、父に良いことだというのなら。
そう思った。
そして、それは、父はこの世に未練などないなら、
私のそばにいるようなことは、まず無い。
と、考える根拠にもなった。
ことばひとつだ。
死者と私の関係をつくるのは。
そう思っている。
わたしは、母のことばによって、
父と完全に切り離され、
死んでいる父に依存する思想を持たないですんだ。
自分の弱さをもうひとつ弱くするようなことに
ならないですんだと思っている。