2/27/2011

読書決算(1・2月)

さて、1月と2月の購入書籍である。
アマゾンにしか記録が残ってないので、
もしかしたら、本屋さんに寄って買ってる、のかな。

【買って読んだ本】
■シャーロック・ホームズの冒険(C.ドイル)
■緋色の研究(C.ドイル)
■四つの署名(C.ドイル)
■シャーロック・ホームズの事件簿(C.ドイル)
■谷崎潤一郎犯罪小説集(谷崎潤一郎)
■誰からも気がきくといわれる45(すでに破棄したため不明)
■ナマズの幸福(川上弘美)
■まいにち食べたい“ごはんのような
 ”クッキーとビスケットの本(なかしましほ)
■TRANSIT TOKYO ごはん(梶原由景)
■THE ESSENTIAL THINGS 100(梶原由景)
■テリー・ジョンスン秘密手帳(テリー・ジョンスン)

ちゃんとした小説は、
ほぼ、シャーロック・ホームズシリーズのみである。
風呂で読み進めた。
ほかは、エッセイだったり、クッキーの本だったり。
今現在、読書の習慣は、ネットのくらしにだいぶ侵食されている。
心理的に、ネットに繋がってないと、
遅れるとおもうところがあるらしい。
病膏肓に入る前に改善が望ましい。
つまり、下記の書籍群が、読まずと机に置かれているもので、
ネットに侵食される以前には読んでいたものではないかと思われる。

【買ったが読んでいないもの】
□あ・じゃぱん(矢作俊彦)
□漂砂のうたう(木内昇)
□完全なる首長竜の日(乾緑郎)
□追悼の達人(嵐山光三郎)
□追悼私記(吉本隆明)
□追悼記録 網野善彦(赤坂憲雄)
□雑文集(村上春樹)

ちなみに、追悼がやたら多いのは、
高橋源一郎さんと社長が
「追悼」について話していたからだ。
たぶん、嵐山光三郎さんの本は2冊目。
人の追悼文は当然だが心にしみいるので、好き。

2/26/2011

クッキーの理想 1

自分の好きなクッキーの味はわかっているのだ。
しかし、その味がいつもできるレシピはないものかと
去年からいろいろ試してみているのだ。
ちなみに、バターがたっぷりはいった
素クッキーである。

で、本日つくったクッキーのレシピは、下記である。

無塩バター200g
砂糖100g
卵1個
薄力粉400g
バニラビーンズ1cm

さて、これは何をベースにしているかというと、
吉祥寺にあるお菓子のおみせ、
A.K. Laboがなにかの雑誌に出してい
バニラサブレのレシピを
すでにアレンジしたものである。

どうだったのか、というと、
大変おいしかったのだが、
ちょっと甘かった。

砂糖は75gくらいじゃあないか。
次回に期待。

※後に完成されたレシピ
無塩バター100g
砂糖40g
卵の白身の塊の部分だけ捨てたもの
薄力粉200g
バニラビーンズ0.5cm

卵液を表面に塗ってから焼くとなお良い。
天板まで完全に熱くなった状態で180度15分(目安)。

2/20/2011

本当は嫌いなもの

それが好き、ということにすると
なんとなく素敵、という食品があるような気がする。
去年だかなんだかに、そうやってじぶんを騙してるものが
多くあるような気がして、注意深く自分を観察してきた。

そこで、3つのたべものが
「あんま好きじゃない」ということがわかった。

一つ目は、「おかゆ」である。
なんかいいでしょ。雰囲気が。おかゆって。
だから、好きっておもってたんだけど、
熱いし、味がないからしょっぱいものをたくさん食べちゃうし、
なかなかなくならないし。

二つ目は、「ワイン」。
これは、しいたけがダメなようにダメだ。
いや、飲めと言われれば飲むけども。
なんか、進まない。
炭酸がはいってる方は好き。

三つ目は、「ヨーグルト」。
なんか、お腹によくて、ヘルシーでいいじゃない?
雰囲気が。
だから、けっこう買って冷蔵庫に常備してたんだけど、
1回たべて、そのあと食べなくなることがわかった。
つまり、「すてきな自分」はヨーグルトを買って、
一回食べる。
でも、食べてみるとがっかりして、そのままになる、
の繰り返しだったのだとおもう。

たぶん、検証すると、本当は好きでもないものを
「それを食べているわたしは素敵」とおもって、
好きだといっているものは、もっとある。

逆に、それを食べていると素敵ではないものだけど、
大変好きだ、というものも分かっている。
それは「味の素」だ。
自分もちょっと残念だが、事実だ。

2/19/2011

父のこと。

高橋源一郎さんが、
「小説ラジオ」で死んでいった人についてのことを
書いていたので、ちょっと、
また久しぶりに亡き父のことなどを
おもいだした。

思い出さない日もないんだろうけど、
あらためてちゃんと思うこともない。
彼がこの世を去ってから、
数えてみればもう20年ちかくにもなれば
そんな状態だ。

よく、亡くなった人がいまでも生きている、
というように言いながら暮らしている人をみるが、
私は、実のところをいうと、
そのように感じたことが一瞬たりとも、無い。
彼は、完全に向こう側の人となっている。

理由は、母の言葉だ。
父が亡くなってからほどなくして、
ぼそっというのだ。

「お父さんの晩年は、なんだかとても辛そうだった。
 いろいろとても。
 だから、神様は、本当にいい人だったお父さんを
 助けるために、
 ちゃんと連れて行ってくれたんだと思う。」

そうなのか。
ならば、よかったじゃないか。
私は、さびしいなあと思うけど、
それが、父に良いことだというのなら。
そう思った。
そして、それは、父はこの世に未練などないなら、
私のそばにいるようなことは、まず無い。
と、考える根拠にもなった。

ことばひとつだ。
死者と私の関係をつくるのは。
そう思っている。

わたしは、母のことばによって、
父と完全に切り離され、
死んでいる父に依存する思想を持たないですんだ。
自分の弱さをもうひとつ弱くするようなことに
ならないですんだと思っている。

2/14/2011

諦観と無常観。

たぶん、末法思想とかを勉強したのは、
小学校の6年生のことだとおもう。
6年になったら、社会科の授業が急に
歴史の授業になったから。
もちろん、ものすごいさらっと紹介されただけだったけど、
いちおう、「末法思想」「無常観」くらいの
暗記単語には触れているんじゃないかとおもう。

その次にそれを掘り下げたのは、
高校の古典の授業だったとおもう。
(歴史の授業では、掘り下げたりはしないから、
 たぶん。)

そこで、知ってしまった
平安末期にあらわれたその考え方は、
自分にものすごいなじんでしまった。

な~んかもう、バリバリやってる人とかみても、
「行く川の流れはたえずして‥‥」とか思っちゃうし、
自分が調子よくやってるときにも、
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響あり‥‥」なんつって。

案外多くの場面で、
自分の行動を抑制してきた思想だし、
物事に対して冷淡なことの原因も
これが影響しているとおもう。

いやね、日本の歴史や古典を学ぶ上で
避けては通れない事実だけども、
まあ、結構、覇気を奪う危険なもんだ。
あの、平安末期のムーブメントは。

と、年をとってきて思う。

2/13/2011

モンゴルの草原で。

旅行にいくときに、願うことは、
ごはんがおいしいこと。
いや、目的がごはんで旅行したことは
一度もないけど、ごはんがおいしい旅行は、
それだけで、ほかがつまらなかったとしても
全然構わない。

いままでで、いちばんご飯がおいしかったのは、
タイである。

逆にまずかったのは、マレーシアだ。
すごいパンチのきいてない料理を
つぎから次へと食べた。
運が悪かったのかもしれないけどね。

前から、「馬にたくさん乗る」旅行がしたくて、
ならば、モンゴルだな。とおもっていた。
なんか、よいでしょ?
「モンゴルの草原を馬で。」という風景は。
ただ、それだけなんだけど、
ともかく。

でも、ドキュメンタリーとかで、
モンゴルのパオでたべてる
羊のゆでたのとかは、
自分にとって無理なんじゃないかなあと
思っていた。
いや、目的はごはんじゃないんだけど、
ごはんがおいしくなさそうという理由は、
二の足をふむおおきな理由だ。

が。

先日、「羊一頭を食べる」という
おかしなおかしな企画にさそわれて、
大久保のモンゴル料理のお店にいってきた。
そこで、さばかれて茹でられてでてきた
羊が、ものすごい美味しかった。
意外なさっぱり味。
癖になるやめられない滋味であった。

もしかして、本当にいけるんじゃない?
モンゴル。

いきたい旅行の順位がぐんと上がった。

2/08/2011

東京の6月。

夢をみた。珍しく色がついていた。
それは、ヨルダンの5月だった。
夢の詳細もおもしろかったのだけど、
大概は自分にだけ面白いのが夢の話なので、
もちろん詳しくはしない。

ただ、風景は5月のヨルダンだった。
ちょうど私が旅行にいったころの気候だ。
中東といっても、砂漠砂漠している場所ではなくて、
首都にはほどよく緑もある。
乾燥してさわやかな風が吹く。
寒くもなくて、激しく暑くもない。

20時間を超えるフライトでくたびれはてて、
ヨルダンのアンマンについて、
翌朝友人の家で目が覚めてキッチンでのんびり
ヨーグルトたべてたときのあの幸せな爽やかさ。
あれは、すごかったなあ。
爽やかにすごいという形容詞もないけど、
すごい爽やかだった。

そういう気候のなかのおかしな夢をみた。

でも実は其の気候は6月の頭の東京の気候にも似ているのだ。
私は2009年に、なんでかはわすれたけど、
一年の気候をつぶさに観察した。
とにかく一番いい気候はいつなのかを知りたかったのだ。
その結果、それは初夏の頃だとわかった。
いわゆる「目に青葉山時鳥初松魚」の頃。

6月だと梅雨を連想するが、それは6月の後半だ。
前半は本当に気持ちがいい日が続く。

この寒空に、東京の6月をおもって、
やりすごす。