1/31/2011

とらやのもなか。

先週、湯村輝彦さんと弊社社長との対談に同席した。
いま、彼らの共著の絵本を
復刻する仕事をしているからである。

湯村さんの事務所ででたお茶菓子が、
とらやのもなかであった。
つぶあんの。
アメリカンなエロなゴージャスな彼の事務所で
出てきたお茶菓子が東京のスタンダードで嬉しくなった。
ちょっと、感動もした。

実は、わたしもとらやが大好きだ。
わたしは、おとなになってから
とらやのあんこがやめられなくなった。
あのとらやの看板がでていると、
どんなことがあっても、必ずもなかを買う。
つぶあんが苦手なので、こしあん。
2個とか普通にたべてしまうので、
一番ちいさい「御代の春」である。
白あんもおいしい。

とらやは、なんか「お使いもの」としてしか出会わず、
しかも、慇懃な感じでもらうそれは
羊羹だったりして面倒なことが多い。
でも、それは本当に残念なことだよ。
本当においしいんだから。

そうそう、夏になったら、
トラヤカフェ、じゃなくて、虎屋菓寮にいって、
白玉宇治金時のかき氷をたべるのも楽しみのひとつにしてる。
なにせ、あんこがとらやだから!
あんなに美味しいかき氷はないよ!

1/30/2011

人品ということ。

こういうことを、メモのようにかきなぐってあった。
たぶん、なにかにたいして怒り、
それをなだめるために書いたのだろう。
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私は、正論を言うヤツと、
後出しジャンケンをするヤツが大嫌いなんだけれども、
たいがい、正論を言うヤツは後出しジャンケンをする。
ということも経験上知った。

こういう人品の悪い人物というのは、
善人面をして世間を渡っていることが多いので、
人に及ぼす悪影響というか、
まあ、直接的な迷惑だな、
それを自分が引き起こしているとは、自覚がまったくない。

そして、力に対して見事な追従をし、
見事に尻馬の乗り、
自分の失敗に対しては、薄っぺらい言い訳をするか、
もしくは、巧妙な隠蔽をするのである。

社会の大部分はこんなのばっかだ。
こういう立派風情な人物になるまい、
と私は努力をしている。

1/29/2011

絵に描いたような

「絵に描いたような」といえば、
このブログのことである。
どんな絵かといえば、
「三日坊主」というやつである。
またまた、とか言われるけど、
三日坊主というのはあんがい人生にひょっこりと顔を出す。
腕立て伏せとか、腹筋とかは、よくその坊主にやられる。

それはさておき、先日「絵に描いたような」ことが
もう一つあった。
「絵に描いたような後悔」である。

それは、徹夜あけの朝に、家の間仕切りに使っていた、
tord boontje の until dawn curtain に
ホコリがたまっていたので、
「もう4年くらいもぶらさげてるしね。
 買い替え時だ。」とおもって
さっそくゴミ箱にぽいっと捨てた。

で、ネットを検索して、その値段にびっくり。
14000円である。
その、使っていた until dawn curtain は、
どこで買ってきたかというと、
パリ(フランスやで)の、Habitat というお店。
たぶん、大量の買い物をしていたので、
値段のことが気にならなかったんだとおもう。

悔いた。悔いた。
ホコリ払って使えばよかったと。

しかし、同じものをもう一回かうのは、もはや
後悔の上塗りになるので、やめて、
今度は、algue というものにしようとおもう。

海藻みたいなパーツを組み合わせて、
間仕切りにするというもの。

緑のやつを、買おうと思う。
14000円ぶんくらい。

1/25/2011

家は風呂である。

MacBook Airを買ったことは
先日のここにも書いた。
そして、iPadが仕事には全然
つかえなかったことも同様に。
そこで、私がだした結論は、
「パソコンはキーボードである。」というものだ。

それと似たような結論をだしたことが過去にもある。
それは、表題のごとく
「家は風呂である。」というものである。

それは、文の構造が似ているだけで、
本当は全然似てないんだけどもさ。
まあ、それはさておき風呂と家の関係だよ。

私が今のアパートに入居したとき、
風呂がこわれていて、
一週間くらい銭湯に通っていた。
そして、それはそれは不便な思いをした。
銭湯通いというのは、
風呂にはいる時間のリミットがあって、
夜になると、風呂に入れないかもしれない危機感に
ずっと付きまとわれるのだ。
万が一風呂に入れなかった場合、
それは、「人にあらず」といわれても仕方がない。
すこしでも臭おうものならば、
その先長らく自分の悪評が覆ることは絶望的であるからして、
風呂にはぜひにも入っておかねばならない。
という世界で生きる者にとっての風呂問題である。

そのときに、私は風呂がない家は家とは認められない、
と悟ったのだ。
部屋などは脱衣場の延長だ。
風呂がないならば、家に帰る必要などあるものか、
とまで思った。

たとえば、二徹をしないと終わらない量の仕事があり、
締切りが迫っている場合。
その二徹目の浅い夜に
我々は何をするかといえば、
「とりあえず、風呂はいってくる。」といって
自宅にいったんかえって、
オフィスにトンボ帰りをするのだ。
それだけで、家に帰った気持ちは十分に味わえる。
たとえ家で過ごす時間が1時間に満たなくても。

風呂、それは家である。

1/24/2011

デビューの頃

新年に美容院にいって毛先にパーマをかけて以来、
たのしくて、毛先をアイロンでまいたりなどしている。
おかげで20分ばかり朝の準備に
余計に時間がかかっているのだが。

先日、社長と一緒に会社のキッチンで
しょうがシロップを作っているときに、
彼が、
「モギ、パーマ? それ?
なんか、ミック・ジャガーの
デビュー当時に似てるな。」
と言う。

あまり、ローリング・ストーンズには
造詣が深くないので、
「いいことではない」と考え
となりの席の同僚に、こんなことを言われた。
と、愚痴をこぼしてみたら、
「案外褒め言葉かもよ。
若い頃のミック・ジャガーというのは、
とてもカワイイ雰囲気があって、
魅力的なビジュアルとして認識されていたよ。」
これを聞いて、小躍りしないでか。
うきうきして、家路についたのであった。

が、翌朝、その同僚から、
「心して読んでくれ・・・」というメールがきた。
ひらいてみると社長が書いた文章のなかに、
こういうものがあった、と。

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・ぼくは、ミック・ジャガーっていうロックスターを、
かっこいいと思っているし、
ミック・ジャガーの顔も、かっこいいと思っている。
しかし、デビュー当時は、そう思ってなかった。
へんな顔のボーカリストだというふうに見ていた。
だんだん時間が経つにつれて、
日本人にはわからないけれど、
イギリス人とかアメリカ人にとっては、
「ああいういい男」なんだろうと考えるようになった。
おおげさに言えば、じぶんの美意識をですね、
国際標準に合わせちゃったつもりでしたよ。


つい最近、ミック・ジャガーの娘さんの
インタビューを読む機会があって、びっくりしたんです。
「父は、ほら、あのとおりの顔でしょ?」
というようなことを言ってたんです。
そうだったのか、「あのとおりの顔」で、
しかもかっこいい存在‥‥っていうことでよかったんだ。


どうして、おれは、
じぶんのほうを変えちゃったんだ、と、反省。
こういうことって、意外と多いんじゃないかなぁ。
気をつけたいことです。
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そ、そ、そうか……。

1/23/2011

はじめに。

先週の日曜日にMacBook Airの11インチを買った。
Macを使い始めた頃から、
薄くって軽くって持ち運べるMacが
ほしいなあと考えていて、
ついに! ついにでたんじゃないか?
とおもって使ってみたら、それは「ついに」だった。

その直前にでていたiPadもその最終型だとおもったのだけど、
キーボードが画面に表示される形式で、
つかいかってがよろしくなかった。
どうやら、わたしにとってパソコンというものは、
キーボードがしっかりしてないと、
その用をなさないということがわかった。
わかっただけでもとてもありがたかった。

で、そのiPadは、知人に頼んで買い手をみつけてもらい、
売れたお金を資金源にして、手に入れたのだ。

毎日、ちょっとうきうきして使っている。
PCの前にいるのがいやにならないので、
だいぶ文化として廃れてきてしまったけれども、
ブログを開設してみた。

いつまで続くかわからないけども、
そういうわけなのでした。